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と、76年の年賀状を頂載してまだ2年余、その時、あの堂々たる体格、スポーツマンでいられる岡崎さんが御他界されるなんて、誰が考えられたでしょうか・・・。
3月某日昼頃、長尾先生より電話あり、“手術をしたが余りかんばしくなさそうだ”とのこと、急ぎ中央病院へかけ付けると、廊下では原内会長、赤井幹事が心配そうに様子を見守っている。病室では、岡崎さんは酸素吸入を受けながら、寝るが如くおだやかに休まれているのにくらべ、唯周囲のあわただしさが総てを物語っているようでした。
想えば、岡崎さんには、戦後青春を賭け、過された朝鮮より、リュックサックを背に、助かりし御子息を両手につれられ、戦後の混乱と荒廃のなか再び起き上ろうとする御努力は並大抵のものではなかったでしょうか。然し、これにも屈せず種々事業を計画され御苦労を重ねて今日まで種々の重責を果され、仕事の面は勿論、社会事業にも大いなる足跡を残された事は、岡崎さんの世話好き、物事にくよくよしない生来の快活スポーツマンスピリットのせいといえるでしょう。勿論人の世、人には語れない御苦労もあったかと思いますが、そんな蔭は微塵も出さず、いっもサッパリとしたその性格は、我西クラブ中でもっとも敬愛されたお人ではなかったでしょうか。特にロータリーの思想と行動の本質を、生まれながら備えられていた岡崎さん・・・その上、ロータリーに籍をおく事により、この土壌の中で更にはぐくまれ崇高なまでもロータリアンとして成長されたお方であったと信じているのは、私ばかりではないと思います。特に西クラブ国際奉仕に於ける韓国事業は、圧巻として、クラブ会員に深い感銘を与えた特筆すべきものではないでしょうか。
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