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平成元年2月24日  於 玉藻会館

 西ロータリー20年を省り見るとともに,現在のクラブの現況を見つめながら,21世紀に向かっての展望について座談会が行われた。

出席者

久米房之助

谷本憲一

平田廣

徳田恒光

大林幸

富永重信

石川洋介

黒田昌男

長尾初次

吉田繁秋

玉津島順一

稲本陽一

土居良男

稲井敬一郎

岡内浩

池上任

逸見金蔵

別枝正己

佐野孝次

原内明

田中貞市

川西秀明

東條泰隆

村上久夫

司会(村上久夫)
 座ったままで失礼いたします。
 20年誌編集委員長という役目がら僭越ながら私から発言させていただきます。本当に今日はお忙しい中をお集まり頂きましてありがとうございます。
 さき程も申し上げましたように,今日のこの座談会を20年誌の中のメーン記事にする予定でおります。現在の高松西クラブを改めて見詰め直し,そして明日の平成に飛躍する高松西クラブを語る,こういうテーマで進めたいと思います。
 私,この間から20周年の記念式典の皆様方のご挨拶や祝辞を録音にとりましたのを紙に写しとる作業がやっと昨日で終わりました。大分これでヒイヒイ言ったのですが,その記録を読み返してみますと,本当に来賓の方々が,西クラブへ幾分は過大な褒め言葉もあるとは思いますけれども,非常に褒めてくださり,私もこれを読み返しながらとても嬉しくなりました。ということは,非常に個性の強いクラブである,ユニークなクラブであるというふうなことをどなたもおっしゃってくださっている。私たちはそのユニークな個性のあるクラブというものを誇りにしたい気がいたしました。特に,パストガバナーの牟礼さま,それから直前ガバナーの萩原さま,このお二方の祝辞はもう本当にうれしい祝辞でした。ぜひこれは全部そのまま記念誌に載せたいなという気がいたしておりますけれど,そういう誇りを持ってひとつ今日は皆様方のお話を伺いたいと思います。特に,長尾先生が2年前から計画してくださったあの二科展,これはもう町で大変な評判で,私も友人たちから「ロータリークラブというのはすごいことやるなあ」とか,「見直したぞ」というふうな言葉をあっちこっちから聞かされ,本当にうれしくなりました。この点,本当に皆様方にお礼を申し上げたいと思います。そのあたりの思い出話,御苦労話あたりからひとつ伺いたいと思います。
 実行委員長の大林先生,ひとつどうぞ。

(大林 幸)
 今日はどうも皆さん御苦労さまです。
 ざっくばらんに語っていただきたいと思います。クラブが出来て20年,本当によかった行事で終わったと思います。苦労話から入れということでございます。やっぱりクラブの何人かが突進しなきゃこういうことはできないと思うんです。そして,どれだけの人が協力したかということだろうと思います。多くの方々本当に協力していただき,特に会長はもちろんですが,総務委員長の玉津島さん,お互い気心がわかっておるからこう走っていけたんではないかと思います。途中からやっぱり走らないかん時期がありましたね。結局みんなのできるだけ多くの人の意見を聞いてからいった方がいいという考えを持っておりながら時期がこう迫って来ますので,そしたらもう走らにゃいかんような感じも時にはある。しかし,1つのイベントをやるのにはそういう人がおらんといけない。私たちのクラブにはそういう人材がおるという,つくずくそのように思います。
 それから,時期がですね,時代でしょうかね,そういう背景があった,特に高松市における,橋がかかって,そして県民ホールができ,市立美術館ができた,ちょうどタイミングが合致しておる。それにマッチできたということが非常に大きかったと思います。やっぱり,高松市にしても今後どういうふうな格好でいくか,文化都市としてそういう面を特に力を入れなきゃいかんいう考えが非常にありますと,そういうものともマッチできたんではないかと思います。本当に御苦労さまでございました。お疲れが出なければ良いがと思っております。
 やっぱり後で評価というのが出てくるでしょ,側から,すべて褒められることばっかりでしょうねえ。ちょっとやり過ぎたような感じ,それはロータリーの連中より受けたもの,ロータリーに関係なしに,やっぱり医師会なんかでふだん余り褒めん人が褒めるんでねえ,あれ気持ち悪かったねえ,一面。今までそういうことないんですもんねえ,ですから相当評価していると言えるような気がしてます。中にはあれはライオンズだと言よんだねえ,これにはかっと来ましてねえ,違うぞ,ロータリーだとあんた,それはロータリーでいうような感じでね,そんな一幕もちょっとあったですけど。それはちょっと一杯やりながらやるような席で出ておることですから正味だろうと思うんですね,きれい事でなくて。女性の人がどう考えたかいうのをもうちょっと開きたいような気がしております。8割は女性が入ったという印象ですね。

(久米房之助)
 今までの奉仕は特定の分野へですね,金品なり,または奉仕活動するという形をとっては来とんですけど,今回の二科展の場合は一般大衆向けという形でやったという辺が我々の今までの奉仕活動との非常な変わり方といいますか,目のつけどころの違った面で奉仕活動ということが大きいですね。

司会(村上久夫)
 やるんだというお話は私も聞いた時にはこれはすばらしいとは思ったわけです。ところが,実際にあの現場を見たときには思ってる10倍ぐらい圧倒されましてね,すばらしいなあと思いました。うちのクラブは久米会長,あなたの20周年記念式典のご挨拶にもありましたように,随分いろんなイベントをやってますね。IGFやってますねえ。あれを今回忘れてましたけど,農協会館のあそこでやられ,あれも手づくりのIGFだったし,それから地区大会のあれも本当に我々の手づくりの地区大会,これはもう自慢していいと思いますねえ。だから,そこらあたりにつきましてはいろいろ思い出があるんじゃないですか。

(久米房之助)
 そうですね,これはもう皆さんが,御一緒にやってくれるからできるんでして,特定の人だけというわけじゃございませんので,今回の二科展につきましても,初めのスタートラインで,さあってこれ二科展といいますとね,絵の好きな人を対象になってしまうじゃないかというひとつに限定されるということを非常に危惧しました。私は絵をかきませんし,わかりませんけど,ところが絵に興味のない人にも絵を見て何らか感ずるものを受けとめられるということですと,やはりこれはやっぱり一つの感性の時代にですね,移り変わってきてると。衣食住足りて礼節を重んずるということは,それ机上論ですね,いわゆるスタイルに今度は時代が変遷してきておるというふうに私は感ずるんですね。ですから,ちょうどロータリー20周年,これ迎えましてね,多少組織的な変更とかいろいろやりましたけれども,これからはやっぱり新しい方たち,中堅の方々がね,本当のひとつ新しいアイデアを出しながら,いわゆるロータリーの理論と実践ということをもう一つ具体的に展開していける時代が来ると思いますね。ですから,先般も打ち上げ会でちょっと申し上げたように,もう古い連中がいつまででも前に出ておらないかんということじゃないんで,形をやっぱりこれからはまずとらなきゃいけないというふうに思いますし,これが間違ったままで見たとか何かなりますと,やはりそういう点はいろいろと研究しながらやっていかなきゃいかんでしょうけれども,ある程度は何というんですか,前向きに取り組んでいったら非常にいいユニークなクラブとしてますます発展していけるんじゃないかというふうにも思います。

司会(村上久夫)
 二科展がこれだけの成功をおさめたというのも,そもそもはうちのクラブに二科展連続入選二十回と言うキャリアの長尾先生という方がいらっしゃったからこそ実現したんだと私は思うんです。また,長尾先生がいらっしゃらなかったらそういう発想も我々の中から生まれなかったかもしれない。だから,長尾先生は随分御苦労があったと思うんですけれども,私が開いたところによると,3日か4日病院閉めてしもうたというお話を聞いてヒャーツと思ったんですけども・‥…。

(大林 幸)
 事実です,事実休診でした。ちょっと悪い人は全部私の病院に預けて。もうはっきりしてますよ。準備が我々にはわからんですね,美術館へ行ったって何してええんやら,もう,ただ立てっとるだけ,キョロキョロしよるだけ。やることがわからんでしょう。絵の配置にしたっていろんなことが香川の二科の支部というのは非常に弱いので,大変な苦労があると思うんです。支部の方々の組織が非常に弱かった。ですから,四国にも今まで全然入ってなかった。やっぱりそれがはっきりありましたのでね,だけど一緒に会合なんか持ったでしょ,前もって,一部の人たちと,二科に入選してる女性たちを中心に支部長さん呼んで,ああいうことから張り切っていただいたように思うんですね。長尾先生の指導がよかったんだろうと思う。

司会(村上久夫)
 三宅ガバナーが講演の中でおっしゃってましたね,玉津島さんと話したんだけども,玉津島さんいわく,「きのうこの辺を飾りつけするというて来とったんだけど,そして1人だけこの部屋でじっとこの絵に囲まれてると,わっと物すごく圧倒されるような気がした」ということを玉津島さんがおっしゃったんですと,その話聞いて私,玉津島さんてすごく絵のわかる人だというふうに思った。私は吉井理事長の絵なんか拝見しますと,それはもう物すごい迫力は感じますけれども,そんなふうには感じたことなかったんです。だから,やっぱり絵を見るにいろんな人がいるんだなあと,玉津島さんひとつそのときの感想もちょっと申してみてください。

(玉津島順−)
 御指名がございましたので申し上げます。私は元来,芸術とは無縁でございまして,全く興味のない方でございまして,型から申しますと実務型と申しましょうか,与えられた仕事に全力で向っていくタイプでございます。当日も,何か力仕事でも出来るかと思い,現場に行ったのですが,たまたま作品の飾りつけも終り,会場内には私1人でいたわけです。その時,飾りつけられた作品が暗い会場で,1人でいる私にすごい迫力で迫ってくる感じがしました。全く絵心のない私にも,プロの芸術に圧倒された気持でした。
 さて,今回の二科展高松展開催につきましては,当初,高松市立美術館のオープンに出席をされていた,県出身の二科会理事山尾先生に以前より親交のある稲井様と長尾先生が前コンタクトされ,二科展を高松で開催したいということをお願い申し上げたわけですが,私は,それまで二科会がどのような会かもほとんど認識がありませんでしたが,山尾先生とお会いし,スケールの大きい芸術家としてのお人柄と,ふるさとを想う想いやりがこの人とであれば二科展を開くことが出来るのではないかという希望的なものが生まれました。その後,長尾先生が二科会支部との接触をはじめ,高松での二科展開催の目途が立って釆たわけです。その後は,当日二科展開催まで長尾先生を中心に諸準備を行なって来ましたが,この間,会員の皆様が各部内部内にわかれまして,すばらしい行動をしてくれたことが二科展が市民にアピールした大きな原困であったと思います。
 今回,総務委員長をさせて頂き,つくづく自分の無力さを感じましたが,それと同時に新しい有能な会員が私達のクラブにはたくさんいらっしゃいますので,この辺でぼちぼち選手交代の時期が来たなあという感じがいたします。

司会(村上久夫)
 いやいや。まだまだ引込まれては困りますよ。

(玉津島順一)
 というのがねえ,若いすばらしい人材がたくさんおりますんでね。そういう方々がまた新しいアイデアで,新しい行動を起こせばもっとすばらしい記念事業なり記念行事,クラブ運営ができるんじゃないかというように思いますね。

司会(村上久夫)
 あんたチャーターナイトのとき,くす玉が割れずに,あんたが机を重ねてその上へ上がって飛びかかってげんこつで割ったと,三宅ガバナーも話しておりますが,私たちこの話何回も聞いているんですね。だから,玉津島さんという人が非常に生き生きと若々しく私たちなんかの印象にはずっとあるんです。そやから,これからもそのつもりで活躍していただかないかん。
 ただ,長尾先生がね,私たまたま今しゃべってて思い出したんですけれども,うちがIGFを農協会館でやりましたね,あのときにどういう経緯か私がプログラムをつくることになってしまったんです。どんな経緯でそうなったかなんか出しゃばってしゃべったからか,自分で覚えてないんですけども,オープニングをどう進行させるかで非常に悩んでおった時があるんです。そうした時に,長尾先生が村上さんそんなに心配することはないがと,ベニヤ板でロータリーマークつくって,金銀の紙貼ってそれを舞台正面の上にこう上げて,それでばっと光を当てて音楽なりを入れてオープニングにしたらよかろうがと,それだけ言うてくれたんです。それで,あっそうだと,私そのときにそれが一つのひらめき,きっかけになって,それで音楽は軽騎兵序曲の一番初めのイントロダクションをそれに使って,それでライトを当てるいうてもあそこはライトがないんです,照明がねえ。それで,忘れもしません,私,入会してまだ新しかったんですけども,そのときにだれでも全部動員したらええんだと言われたんで,そのマークの後ろに蛍光灯をつけて,それにコードをつけて,ところがそのコードをその音楽の然るべき時点でこう差し込んでばっと明かりをつけるというタイミング,そしてそのタイミングは別枝さんにやらす,今でも忘れません,天下の別枝組の社長に,あんたここでわたしが手をあげたら,そのコードをそのプラグに差し込んでくれえちゅうて,それだけのことなのに別枝さんを30分ぐらいくぎづけにした,今考えてみると恐れ多いことですけども,そんなふうにして,それからスポットライトもないのをわざわざ事前につくって,大林先生がSAAで,その大林先生の立つ位置をスポットライトがばっとついたときにその真下にいらっしゃるように白墨でステージの上に印をつけておいて,先生ここでおってくださいというふうなことで,今考えるともう怖いもの知らずでやりましたけれども,非常に懐かしい思い出です。それも全部最初のヒントは長尾先生が与えて下さって,今思い出しましたけれども,もう本当に私としては傲慢無礼もええとこだったと思いますけれど,懐かしい思い出です。

(大林 幸)
 分区代理が綾菊酒造の泉谷さんだったわけでしょ。

司会(村上久夫)
 そうですね。

(大林 幸)
 うちのクラブ会長は,当時香川大学音楽教授の藤原先生で幹事が久米さん,あのときねえ,IGFの休憩時間があるでしょう,あのとき水割り出したんですよねえ。分区代理が酒屋だから反対ないだろうと,誰が言い出したんか知らんけど。
 飲み物の中に水割りが出たんです。IGFであれが最初やったんですわ。

司会(村上久夫)
 でも,あのとき久米さんが幹事で,後日どこかの幹事会か何かのときに,おまえとこのあのIGFの演出はプロが入ってやったんだろうという話があって,いやそんなことはない,会員全部の手づくりだと言って,幹事会で非常に鼻高々だったということ,何かに書いてましたね。

(久米房之助)
 私どもの幹事の時の会はいまだに続いとるのです。ですから,もう12年位になりますが,いまだに年1回は集まっています。今回は私会長として,高松六クラブの会長幹事会ということで2ヶ月に1回ずっと続けてやっております,現在は。それしますと,いろんな提案事項が出てきますので,時々それに対応していけるというふうなことで,今回2カ月に1回ずつやろうということで,偶数月にやっております。これも非常に効果的な活動をやれております。この間二科展にしましても六クラブでやったらどうかという御意見なんかも既に出ております。ということは,もう今それを提案するならして予算の方へ各クラブは組み込まないかんわけですね。ですから,次回,今度は4月ですけれども,このころにはこの間の二科展の収支決算を準備していきましてね,概略だけでもいいんですが,どれぐらいな費用で,六クラブがそれぞれ負担すればやれるかというふうなことによって各クラブが予算化するということでいきますと年々続けてやることもできるんじゃないかということです。脇市長さんもぜひこういうものは続けてほしいですねというふうな,そういう要望もございますんで,六クラブとして考えてもいいんじゃないかという詰も出ております.

司会(村上久夫)
 ということは,うちがその火つけ役になったということも一つの誇りにして良いと思います。
 過去を振り返る座談会ではないと言いましたけれども,こうしてお話を聞いてみますと懐かしい思い出やら我がクラブの特徴,個性というものも改めて再認識できるわけで,どうでしょう,11年目の会長は富永さんですね,そこらあたりから順番にひとつ御自分の年度のいろいろなことを思い出になることを聞かしていただけませんか。

(富永重信)
 御指名がございましたので申し上げますが,うちのクラブには,お話がありましたように,いわゆるキーメンバーの方のいい習慣というんですか,リーダーシップがあるんですね。結局,非常にアイデアに富んだ方,またお世話をされますのに適任の方,それぞれ人材がいらっしゃるわけです。私は大林先生から会長を引き継ぎましたときに,これはえらいものを引き受けたなというのが真相でございまして,この1年間私はどんなにしてうちのいい伝統を次の方に譲るか,引き継ぎするかということをまず考えたわけです。これはうかつにはできんぞということで,ここにいらっしゃる別枝さんを幹事さんにお願いをいたしまして,別枝さんの力強い御尽力でどうにか1年間過ごしたわけなんですが,私は稲井さんに引き継ぎ終わりました後で,つくづくとああよかった,皆さんの御期待に十分沿えなかったかもしれないけれど,とにかく1年間が過ぎたんだといういう感じになったわけです。どうかうちのキーメンバーがつくられました伝統を今後ともずっと末長く続けていただきたいというのが私が会長をやりましての感じでございます。先ほど来話がございますように,うちがホストをしました年次大会にいたしましてもほかのクラブから立派なものだ,おまえんとこはどうしてああいうことができるんだという声をよく聞かされましたけれど,今後ともこのよき伝統を続けていただきたいというのが私の感じでございます。以上が1年間を振り返りましての感じでございます。今後とも皆さんに後継者を養成するということで頑張っていただきたいと,かように考えております。

司会(村上久夫)
 その次の年度は稲井さんでしたか。

(稲井敬一郎)
 別に何もございませんけれども,田中さんに幹事をお願いいたしまして,非常に几帳面にすべてを運んでいただけたおかげで1年大過なくと思いますけれども,一応終わらしていただけたということだと思います。私がそのときに感じましたことは,やはりクラブというのはあくまでも融和であるということを思いました。その融和とそれからアクティブなクラブということはやはり新しい血を入れることだと,それは増強ということ,それで当初非常にロータリーの選考は難しいので,これはというようなお答えもありましたけれども,これは初めから完成された方はどなたもいらっしゃらないということですから,(中にはいらっしゃいますけれども,)ロータリーに入っていただいて,そしてロータリアンになっていただくということをするためには,一応基礎というものだけはきちっとわきまえて,その上での応用動作並びにそういう随時な判断ということが大事じゃないかなあということで,私のときにはたしか6人の増強を得たと思いますが,6人の方々に対するだけでなく,また我々も一緒に,もう一回それを見直すという意味で,文献委員会を作り赤井先生を委員長として逸見さん,それから富永さん,田中さん,中村さん,別枝さん,石川さん達9名で本当に忙しい中月に1回,2回,3回と,時によったら11時ぐらいまでいろいろ激論を闘わせて一つの結論的なものの文章をつくったというのが私も非常に思い出に残っておるわけです。それで,それも経費自弁で皆さんやられたということで,これはロータリーじゃなければできないことじゃないかなあというような,そういうことでやはり私が思うのは,ロータリーというのは常に増強しなきゃならん,そして増強したならばそれをできるだけやはりお互いに和を以って,そして親睦を保っていけるような本当に「おい,おまえ」と親戚以上のおつき合いができるようなコミュニケーションに持っていくことが一番大切じゃないかというふうに私は思いまして,させていただいたということでございます。
 それと,いろいろ振り返ってみますと,親睦委員長に大林先生をお願いして,バスを借りきって三豊の浜の地びき網をしていただいて,それで魚がおらんで御苦労して,先に魚をとって入れてごちそうを食べさしていただいたというような非常に楽しい思い出もございました。これはやはり会長だ何だということでなくて,私の方の西クラブという一つの連綿とした,そういう日ごろのだれであろうとみんながそれに向かって一つのものに仕上げていくということ,これも非常にクラブの持って生まれた性格でないだろうかと,ですから極端に申し上げますと,クラブ会長の力よりもやはりクラブのメンバーのそれぞれの一人一人が立派だということじゃないかと思うんです。
 本当にいろいろと板前さんまで用意していただいて大変私印象に残っております。いまだに感激しておりまして,そのようなことでやはりこれはもうメンバーそれぞれがそういうふうな人ばかりですから,今回のIGFにしてもまた年次大会にしても今度の二科展にしても本当に我がことということでみんなが考えてやったことがすべてに結びついて成功したんだと,かように存じております。

司会(村上久夫)
 ありがとうございました。その次の年度は土居さんと徳田先生でしたね。どうぞひとつ。

(土居良男)
 私,ロータリーについて感じたことは,一つは役職が1年で交代するということがアイデアを出すという意味においてもいいんじゃないかと,役員が変わることによってその方の新しいかかわり合いができるという点で,役人でいうたら転勤することによって癒着を避けて,しかもその人間の見識を広めると,そういう効果があるわけです。ロータリーにも1年で交代するということが非常にいいんじゃないかと,皆さんのアイデアを集めるということで。なお,私は会長をしたときに感じたのは,若い人を入っていただくということと,それから例会を楽しくするとか魅力あるものにするという意味で,しかも会員の自己啓発といいますか,そういう意味において卓話とか客話を十分にやってお互いの知識を広め,そういうことを考えて,卓話,客話では気を配ったつもりです。ただ,総体的に申しましてロータリーが社会のリーダーになるんだというような点も考えてみることがこれからのその社会の発展を知り,それを推進する陰にはあくまでも格調高いものにしておかないかんということが非常に重要な問題だと思うわけです。行動をやる時にもそういった意味で,今までロータリーの枠の中でアイデアを出すんですけれども,ロータリーは奉仕だというようなことが主限になっとるんですけれども,奉仕とはお金か物か,人その労働によって入に与えるものだと,そういう意味があると思うんです。これが果たして今の世の中に合致しておるかどうかという問題があります。もう少し社会のために奉仕をするというんでなしに,サービスをするといったらどうだろうかというふうに私は考えるんです。そういう意味で,今後ロータリーの奉仕というものは社会に対するサービスだと,そういうような考えで,ある程度,時代に合致したような変遷をしていくということが大事ではないかなというふうに考えるわけでございます。今後お互いの切磋琢磨,そういうことによって社会にサービスしたら非常な効果が出てくるんじゃないかというふうに思うわけでございます。そういった基本的な問題を今考えて思い出として残っとるわけでございます。参考になるかどうかわかりませんけれども。

司会(村上久夫)
 その次の年度は田村さんなんですが,田村さんは今日は県から命令されて陛下の御大喪の礼に出席していらっしゃる。そのときの佐野先生が幹事ですね,何か。

(佐野孝次)
 それじゃ,私が幹事だったんですけど,田村会長の方がこまごまとやってもらって私は余りやらなかったような記憶があるんですが,困った経験は公式訪問の予定が2遍,3遍変わったですな。公式訪問が終わったら半分ぐらいその年の会長の仕事が済むような気になるんですが,公式訪問いつが来たって終わらんので,田村さんが非常にいらいらしとったような印象に残っていますね。一たん決まったことやのに変更されたんですね。大見カバナーの時です。2遍,3遍ぐらい変わった,こちらの都合じゃありません。こちらはちゃんと待機しとったら,その日は都合が悪いからやめますと一方的に言われて,がっくり来たことを覚えてます。それで,田村さんがどちらかというと几帳面な方やから,年次大会で会長をつかまえてひざ詰め談判で日を決めてくれえいうて,詰め寄りよったんを覚えております。田村さん早く決めてほしかったんでしょうね,あれ年次大会松山であったですけどね,そのときに公式訪問の日を早く決めえと,そこでつかまえて,私は横におって見よっただけです。そういう記憶がありますね。
 それから,行事としては覚えてるのはちょっと知恵おくれの子供だったか,身体不自由児童を海へ連れていったですね。川西さんなんかのお世話でね,大きい船を出していただいて,それで石丸マリーナ御協力で。向山さんとか,東条先生とか,川西さんなんかの御協力で,向山さんがまた健康な普通の子供たちを連れてきてくれて,その人たちが少し肉体的とか,精神的に劣っとる人の世話をするちゅうか一緒に遊ぶというんですか,そういうことをして,とにかくあのときには私自身はもう事故が起こらなええがいうことを一番心配しとったんですけどね,海が大変危険なとこですから,無事終わってほっとしたことと,そういう子たちが随分,いわゆるサービスしていただいたんが印象に残ってますね。後でまた健康な少年たちに感想文を書かしたんですねえ,海でそういう少し劣った子供たちと一緒に遊んだときの感想文を少年たちが書いたんですが,自分たちは恵まれた体を持って奉ることを感謝せないかんというような感想文を読まされて,またそれで感激したような記憶があります。行事としてはそれが一番印象に残ってますねえ。以上でございますが。

司会(村上久夫)
 はい,ありがとうございます。
 さて,次が長尾先生と平田さんですね。長尾先生が例会の鐘を何度か間違えたことは私も覚えてます。私自身も何度か間違いましたけどね。(笑い)

(長尾初次)
 先ほどからちょいちょい僕の名前が出ておるんですけど,やっぱり気おくれがして物が言えんようになっています。僕が会長のときに何をやったんか,何か思い出ないかいうと,一番思い出というのか印象に残ってるのは,鳴門の年次大会のときに次年度の年次大会をお受けしたんで,その次年度の年次大会の御招待のあいさつをせえということなんですが,舞台へ上がっていったら金毘羅船々が鳴り出すんですよね,一体どうやって出ていくんですか,どないするんだと思って出ていったんですが,そしで壇の上へ立てってひょっと下を見ると,三宅パストガバナーが大きな目を向いてこうにらんどるわけで,ありゃまあこれと思うて,ひょっとこう奥の方を見るとうちのクラブの面々がみんな「あいつ大丈夫かな」と不安そうな顔をして見よるのが目に写ったんですが,そういうことが一番に印象に思い出としては残っていますが,何はともあれ15周年という一つの節目に当たりまして,そのあげくに年次大会をお受けせえということで,いろいろございましたけれども,要するに年次大会を引き受けざるを得なくなって,年次大会の準備にいろいろと無い知恵を絞り,皆さん方に御無理を言うたということだけが印象に残っております。 私が会長就任のときから皆さん方にお願いしたのは,いわゆる仲間意識というものをもう少し強く持とうということを私記憶しておるわけです。私の考えてる仲間意識というのは仲間というのは一体何かというと,同じ心が通じ合い,お互い人生というものに同し考え方を持っておる,それから愛情を持っておる,この3つを含めたものが仲間だというふうに私感じておりまして,そういう仲間意識というものをしっかり皆さん方の中でということで。だから,そういうことでは皆さん方が非常に協力していただいたために鐘を間違えたりいろいろしながらでも何とか1年が過ぎ,そしてまた年次大会の体制ができたんだと,考えております。
 それ以外に,屋島のあの寒いところヘスポーツ少年団指導員養成に関して,固いいすの上で,特に逸見さんに御苦労願ってあそこの小さい寝台に寝てもらったりして。若い連中は皆夜が来たら飛んで帰ってしもうて,一番若かった逸見さんが残ってあそこへ寝てくれてカレーライスを食べてくれたんですけど。そういうぐあいに平田幹事が非常に小まめに動いてくれまして,全部平田幹事が仕切ってくれたので,私は別段することなく88回鐘をたたいたということで終わりました。
 それからもう一つ,つけ加えたいことは今回の20周年の記念行事のことでございます。実はおとどしの5月にもうそろそろ20周年が来るから何ぞ記念行事を考えないかんぞと,植樹をまたやるかというような話も出たんですが,たまたまそこの交蘭クラブの部屋で雑談をしておりまして,何か一つ今度は記念行事は文化的なことをやろうじゃないかという話が出まして,文化的なことでひとつ市民にアピールするようなことを何か考えてみるかということで,いろいろ考えたんですが,音楽会というのもこれもどうかと思うし,かといって何か記念講演といいましてもこれも余りぱっとしないし,果たして何があるだろうかということでいろいろ案が出たんでございますが,たまたま市の文化美術館ができるということもありまして,何か一つ展覧会を催すことができんだろうかということでございました。そう考えると日展は県の方が開催するし,それ以外に人気だとかそういうふうなもんでは少しスケールが小さ過ぎるし,ということになると在野の美術団体としては一番数の多い二科ということが問題になるわけです。果たしてその二科というものを招待できるものかどうかということが一番の問題になりました。早速に二科の本部と連絡をとってみたんですが,二科の本部としては展覧会というものをやるんだったら早目に言うてくれと,こちらとしては二科を招聘するということになると,果たして金がどれだけ要ることやら全然検討がつかん,そしてどのくらいの金が要るんかということでいろいろ相談したんですが,そうすると初め簡単なことを言うんですね,前の展覧会場からお宅の展覧会のところまで運ぶ運送費だけでええんだという,ああそら簡単だわ,安いもんだと思うて,7月ぐらいだったですか,一応理事会の方で諮ってみてくれということで理事会に提出したときには,まあ30万円もあったらできるんじゃないかということで,というのは大阪からここまで運んでくりゃいいんだというただ単純にそれだけ考えとったわけで,会場費のことも何にも考えてない,運賃だけあったら展覧会ができるような,そんな簡単な考え方だったんです。それで,今度はそしたら日にちをどうするかということで,理事会に諮ったら,それはおもしろいからやってくれやというお話が出たわけです。理事会じゃなかったかな,元会長会だったかな。それで,早速美術館の方も当たってみ,それから二科の支部の方も当たってみなくてはいけないということで相談したわけですが,一番問題になるのがここの美術館があいているときと,それから二科の展覧会があいてる日というものが合致しなければこれできないわけなんです。何ぼううちがいつからいつまでやりますと言うても,美術館があいてなければだめだし,その期間中よその展覧会がやっとったらそれもだめだし,ですからその2つの接点が合致しなければこの展覧会が開けないわけです。それで,うちには池上さんという非常に美術館に顔のきく人がおりますので,その人が非常に強引に日にちを決めてくださったんで,そういうことで12月末と1月初めしかあいてないということで,それで早速に今度は二科の本部の方と折衝しましたら,そしたら12月25日からと,それから1月10日からがあいとると,だからその間でとったらどうかと,二科の方が一番いいのが上野で展覧会があって,続いて名古屋へ行って,名古屋から大阪へ行くと,大阪と京都の間が比較的日にちがあいているから,その間でやったらどうかということを向こうは言うてくれたわけです。そうしますと,こちらの美術館の方があいてないわけです,10月ですから,それで仕方がないから次へ延ばすということになって,とうとう1月の今回やったような日取りになったわけですが,それは非常にうまく美術館とその二科の本部とはうまくいったんですが,肝心のお金のことなんですが,何だ30万円もありゃできるよなんて言よったのが,美術館が1日2万8,000円,そうなってくるとこれまた困ったことだということで,総務委員長さんは随分頭を痛められたわけです。予算は最初の30万円が50万円,50万円が70万円,運送賃だけでも大体大方100万円近くかかるわけです。見積もりやらすと100万円ちょっと出るぐらい,これは大変だということでだんだんと予算がオーバーしていって,僕は余りやきもきしなかったんだけど,総務委員長さんは予算をオーバーしたらいかんと,そう言われてみるとこっちも大分気が引けまして,予算ということでいよいよどうなることかとそればっかり気にしとったわけですが,何とか総務委員長さんが御支援くださったもので,予算内でうまく,大体金のことは僕は苦手なもんだから,向こうがこうだ言われたらああそうですかと言うて引き下がる方ですから,そこのところは総務委員長さんが大いにその手腕を発揮されて大分いろいろと研究なさってくださったわけですが,ここでひとつ考えないかんことは,こういう美術展をやるということは,意義があったと思うわけです。というのは,私たちロータリーというものは,ロータリーというと個に始まる,すなわち個人からロータリーというのがあって,クラブがあり,あるいはクラブの行事というものがこれはひとつ皆さん方,各ロータリアンの修練の場だというふうに考えております。ですから,こういう機会のもとでロータリーというものの考え方なり,そういうものを各ロータリアンが学んでくだされば僕はこれ一番いいんだというふうに考えております。展覧会を開いてみまして,観客の人なり,そういう方々が見て,喜んでおるのを見ると各ロータリアンとしてはやっぱりこういうようなことをやってよかったなあという,何となく後味のいいものを覚えてくれるんじゃないかと,これがすなわち僕は今後の社会奉仕なり,ロータリーの方針というものはこういうものがいいんじゃないかという,皆さん方が喜んでくれている姿を私たち個人各自が感じるというのは,すなわちこれはロータリーの一つの奉仕の仕方でないかなあと,私はそういうふうに感じておるわけです。ですから,そういう修練の場というものはこれから大いにつけ,皆さん方に味わってもらえるように長くその企画というものが必要になってくるんじゃないかなと,こういうふうに思うわけです。だから,喜んで奉仕できるものと,いやいや奉仕できるものと,例えばもうマンネリ化していきますけれども,植樹だなんていうのは木を1本植えて,ああこれ1本わしらが植えたんだなあと,だからそれだけで済むのと,皆さん方が喜んでくれて,西ロータリーはやったなあと言うてくれるのも,これも一つのありがたいことだと思うわけです。
 そういうことで,記念事業の一つとして二科展を招聘したということはいろいろと問題はあったと思いますけれども,結果的にはよかったんじゃないかと思います。これも私がどうのこうの言うことではないんで,皆さん方が常日ごろから考えておることがたまたまそこに表現できたに過ぎないと私考えております。そういう機会があれば,また二科展も続いてやってくれという非常に一般市民の人も大分おられるようですし,こういうことは継続してひとつやってもいいなあというふうには考えております。
 えらい15周年のときのことを横にのけて,二科展のことについていろいろ申しましたけど。

司会(村上久夫)
 ありがとうございました。平田さん何かどうでしょうか。

(平田 廣)
 別に。

司会(村上久夫)
 この年度は大林先生が分区代理でいらしたときですね。

(大林 幸)
 高松の4クラブで盲導犬を贈りました。これが香川県の1号でしたね,四国には香川県だけ1頭もいなくて,10頭ぐらいいましてね,香川県には1頭もいなかったんです。個人に物を贈るのが奉仕ではないという考えで非常に反対された点もありました。しかしそのお金は視力障害の協会に渡すということ,当時の前川知事を通じまして視力障害の協会に贈るということにしました。そして,視力障害者の人たちの協会で盲導犬を希望する人をくじで当ててもらう,そういうことであります。ただ,そのときに一番問題はあと自治体は香川県として毎年1頭の予算を出すと,確約してくれたんですね。それで,走りだしてとまるわけにいかんようになりまして,4クラブの方々にお願いしました。又,IGFをやりましたね。あれは観音寺東クラブがホストクラブで観音寺の市民会館でIGFをやりました。その責任者でしたね。あのときはパートナーの稲井さんに助けていただいて・・・。

(稲井敬一郎)
 とんでもない。

司会(村上久夫)
 さて,その年,次の年がいよいようちのクラブが地区大会のホストを務めた年で,その時の会長の赤井先生がきょうはお電話がありまして,ちょっときのうから風邪のようです。欠席なんですが,この年はクラブの皆さんが総力を挙げて地区大会に取り組んですばらしい成果を上げた年なんです。それぞれチャーターメンバーの方々も思い出がおありになると思いますが,皆さんそれぞれ思い出をお話ししてください。
 逸見さん,どうですか。
 非常に韓国からのRI会長代理を丁重におもてなしをした態度だけは印象に残っておるんですが。

(逸見金蔵)
 私もそれだけしか印象にない。お世話を一生懸命に,RI会長代理のお世話して,そして大会が始まって,そしてやっと席に着いて腰かけたときに真っ暗な画面の中から歌が流れとる,「今はもう秋,だれもいない海」これを聞いたんですが,それまで大会はどうなるかと思って一生懸命やってきたのが,何かしらほっとして,大会は順調に進んでおると,皆もそれぞれに分かれてこの歌を聞きょんだなあと思うと,ほろっと涙が出まして,それが一番の印象ですな。それで,最後に空港で会長代理を送ったときに喜んで帰ってくれた姿を見てはっとしたというのが,もうすべての印象です。

司会(村上久夫)
 いや,逸見さんがですよ,非常に丁重に緊張をしておもてなししている態度が,私も印象に残っています。お人がらのにじみ出た良いお話,有難う、ございました。

(長尾初次)
 いや。
 もう一つあるで,僕が印象に残っておるのは初日目がうまくいったからやれやれと思ったかしらんけどね,だれかしらんけれど酔うてしもうて2日日にはもう全部準備ができてないでおくれて来よる。だれだったかな。

司会(村上久夫)
 そ,それは私です。(起立して,頭を下げる−大笑い)
 第1日日が終わった時うれしかったです。というのはRNCの八木さんと,それからオリーブホールの音響の連中,あの真剣さには皆圧倒されました。で,あのオープニングでティンパニーですか,あれにライトを当てて,そしてダーン!ダーン!とやっといて,それからばっと大林先生にスポットが当たって,それで大林先生が第一声を発すると言うオープニングが大成功でしたね。あのアシスタントの辻じゅん子はちょいちょいロータリーを,ライオンズに間違って。

(大林 幸)
 あれ1回だけなんです。

司会(村上久夫)
 1回だけね。  そうでしたか。
 だけどドキッとしましたけどね。とにかくそのほかはすばらしくできました。私は大林先生の院長室へ押しかけて2日かがりで進行シナリオを作ったわけなんですけども,その第一日が過ぎたらもう何かうれしくてうれしくて,そのかわりステージに出てくるパストガバナーも荷物の如く押したり引っ張ったりして何か時間に合わせて引きずり廻すようなこともあり,いろんなことをしています。

(大林 幸)
 2日目は開会を遅らせましたね,ちょっと準備ができるまでね。

司会(村上久夫)
 申しわけありません。(再び立上がって最敬礼−全員大笑い)
 一番舞台裏で駆けずり回って,息をきらして走り回ったのは平田さんですね。

(平田 廣)
 私,一番感じたんですけどね,うちのクラブの良さがよくわかります。本当,ロータリアンであって,粒がそろっているというか,ロータリーの意識を皆さんうちのクラブの方は持っています。

司会(村上久夫)
 それと,都城から十何名ね,宮崎の都城クラブから来ましたね。あの人たちの態度には本当に感激しました。

(大林 幸)
 そうでしたね。

司会(村上久夫)
 楽屋の,舞台袖の私の所へ来まして,その進行シナリオ・台帳−コンテを戴けないかと言うので,お役に立つようなら,どうぞと五,六冊差し上げたんですけど,実に丁重に挨拶をして帰られましたね。 近々,あちらの地区大会でホストをやるので,見学に来られたとのことで,大会前日のリハーサルの時から,私の側にへばり着くようにして,熱心な見学ぶりでした。
 あの地域の方々こそは正にロータリアンであり紳士であると思います。
 その一方で,或る歌い手さんはギャラをくれなかったので,私のことは外部からやとわれて来てる電通かなんかの人間に間違えて居たようですが,自分に対する接待が良くないと言う不満を私に言うのです,あれを覚えてます。そのときには斎藤さんのお嬢さんがピアノ伴奏をしたんですけど,その斎藤さんのお嬢さんのピアノ伴奏が狂うような歌い方をしたんですね。

(大林 幸)
 テンポが早くなったんですね。

司会(村上久夫)
 早くなったり遅くなったりですね。それで,最後に幕がしまってから斎藤さんのお嬢さんにイイーッとこうして指さしてにらみつけた。有名な歌い手だけれども,もう一遍でこいつはだめなやつじゃと腹の中で思いました。

(久米房之助)
 いや,あれね。向こうから売り込んできたんですよ,実は。最初はね。俺はロータリアンだからというので,薄謝で御辛抱をいただこうと。ところが,中身は軽いのに,側だけでっかいものを今から変えられんので,しょうことなしにお渡ししたんですけど,よほどようけ入っとると思ったかもしれんけど,中味見てビックリしたと思います。後からきんまの花瓶を送らしていただきました。それで,一応済ましました。
 大会幹事を引き受けまして,押し迫るまでじっと我慢の子で待っておったわけですが,これからやらにゃあいかんなというときにばっとこうのろしを上げましてから,皆さんが一斉にこっちへ顔を向けてくれたということと,RI会長代理を韓国からお迎えするということが北朝鮮へ情報が漏れたいうてここで大騒ぎになってね,それで北署へ連絡するやら土居さんにお願いするやら・・・。
 とにかく無事に,迎えたいと。向こうは向こうさんでプロペラ機いうのは韓国にはないん,そんなプロペラは心配ないんかというて,問い合わせが来るしね。もうしようもない話でよう聞くんですよ。それから今も平田さんが言われたように申し込みがもうちぐはぐで遅れたり,いろいろするんがおるんですよね。それから修正が何遍も来るんです。これにはもう幹事一番頭を痛めましたね。その都度修正せにゃあいかんでしょう。もうメンバー変わったぐらい,そのままの名前でやってくれりゃあいいんですけどね。それから,会の始まるときにせっかくこれぐらいえらい目をしよるんだから一発やらにゃいかぬ。しかし,開会宣言のときにちいと変わったやり方をやると,村上さんが順序が違ごうたと言ってえらい心配したという話を聞きましたけど。

司会(村上久夫)
 あらかじめ頂いている原稿と全然違うんで慌てた。 一瞬,久米さんの頭がおかしくなったのかと・・・。(大笑い)

(久米房之助)
 申しわけございません。

司会(村上久夫)
 でも,後で奥さんから聞きまして非常に感動しましたのは,久米さんの幹事としての挨拶はすばらしかったですよと,私言ったらね。まあうちのお父さんはトイレへ入ってもおふろに行っても大きな声で同じことを言いつゞけて(一同大笑い)私は,そのときに笑いながらも,さすがだな,と感動しました。

(玉津島順−)
 それと,年次大会の私一番印象的なのは記念講演ですね。高野山大学の松長有慶さんですか。
 最初は違うかったんですね,最初は牟礼さんの御紹介でもう一つ上の方で京都の偉い人に交渉したらちょうど中国へ行っていない。で,高野山大学の学長さんを紹介していただいて,それで久米さんと僕と徳田さんと行きましたですね。高野山までね。

(徳田恒光)
 今日初めて申し上げるんですけど,僕は何というかな,何とかいう大僧正,ちょっと忘れましたけど。で,その人がキャンセルになったというんでね。僕はもう蛮勇を奮いまして,その高野山の大学の電話,市外案内で番号を聞いて,直接大学に全然紹介者もだれもおらんのにかけたんですね。そんなら学長が出たわけですね。僕はもう全然始めてでございましてね。実は,西ロータリークラブが四国の島内の全部のロータリークラブの年次大会というので記念講演をお願いしたいと,四国が一つというか,弘法大師がお生まれになったところでもあるんで,ぜひ学長さんの講演をお願いできませんかと,だしぬけに言ったわけです。そしたらわかりましたというて,すぐに日程を見て,手帳を繰っていただいて,5分くらい待ちました,電話口でね。じゃあわかりました。承知しましたというて,私うれしかったですね。それで決まったんです。それで,久米さんと玉津島さんと一緒に高野山大学学長の自宅へ行って,学長のところはね,御承知のように小さい家でね,質素な家で,それで後の話で高野聖とか何とか申し上げましたけれど,本当に何というんか泉鏡花の高野聖の小説があるでしょう,あの小説に出てくる何というんか,後ろ姿,そんな感じがしたものです。実は,そういうエピソードがありまして,結局そのときから松長先生という人は,偉い人だなと思いましたですね。そういう次第でございます。

(吉田繁秋)
 私はあのとき見とったんですが,大分前からつき合いがあったように感じがしました。

(徳田恒光)
 いや全くなかった。

(大林 幸)
 偉い人知っとんやなあ思うてね。

(逸見金蔵)
 もう今は真言ではあの人だけらしい。

(徳田恒光)
 そうらしいですね,いやもう本当に大変失礼を省みずに皆さんのおかげですね。

(長尾初次)
 年次大会の思い出といやあ,もう一つあるんですよね。年次大会をやることについて,これはまあ問題ないですが,いわゆるパネラーですね,パネラーを呼ぶのにいろいろ候補者がありまして,パネラー3人を呼んだわけですので,前の晩にたしか玉津島さんや大林さんが一緒にえらい気合入れまして,一杯飲んだあげくの果てにとうとう変なことが出てきて,SAAにむちを持たせという話が出まして,それでだれに持たすかというと,やっぱり体格のいいがっちりしたんじゃなくてはということで,さあほんな三宅,今の現ガバナー,三宅ガバナーが適任だろうと,さあだれがその鈴をつけにいくんやということで,それでとうとう逸見さんが行ってくださったんです。それで,逸見さんが行って鈴をつけて,それでガバナーが市民会館の会場でむちを持って大きなたすきをかけてあっちこっちと歩き廻って貰いました。三宅SAAはもうええか,もうこらえてくれえ,と言うけれど,最後まで我々はよし,と言わなかった。

司会(村上久夫)
 しかし,あのSAAはよかったですね。

(長尾初次)
 そんなこともありましてね。

(大林 幸)
 あれ執行といいましてね。神戸の耳鼻科の先生でパストガバナー。あのパネラーで上がて戴きました。
 私の叔父がパストガバナーだったんですよ。長というんですが。
 執行先生とは,大変親しかったんです。会長幹事会の後,前夜祭,会長代理歓迎会,その席で一緒になって,どっか行きましょうというて一杯やったんです。そこで,年次大会で感じるものは全部言ってくれと。それから,順番を並べるのもこうしとんだけど,今からでも変えれんことないんだから全部言ってくれ。かつての年次大会でよかったこと。こうしたら良いということなど。その席でSAAのむちが今まで最高であったとのことでした。

(逸見金蔵)
 倉成さんと杉山さんと。

(大林 幸)
 大物ばっかりですね。

(玉津島順一)
 全然知らなくて,交渉する場合,全然ロータリアンなんていうて,物すごく何ですか,勉強している立派なということを知らなくてね。

(長尾初次)
 めくらヘビにおじずや。

(玉津島順一)
 全く知らない形で出したんですよ。そしたら,RIの理事をしていますとか,アジア地区の何かしていますとか,その日はRI会長代理でどこそこに参っておりますんですがね,いう話が多かったですね。だから,来てもらってびっくりしたですね。これだけおおまかに・・・。たまたま1人の方が杉山さんが逸見さんと御同業の方でありまして,それと横浜のクラナリさん。鎌倉やね。あと思い出さんがね,福岡の末永さんが交渉したけど来られなんだ。

司会(村上久夫)
 いや,地区大会の思い出を語っていると,これだけで1時間でも2時間でもたってしまいそうですが,次進みましょう。
 その次の年度は,私と岡内さんの年度です。本当に何をしたのか。印象に残っているのは会長が1ヵ月半入院したこと,続いて幹事が1ヵ月ほど足を折って入院したこと,この2つぐらいしか残っていませんね。次,進みましょうや。

(岡内 浩)
 ちょっとそれじゃ,今村上元会長言われたように,私たちの年度,これという大きな事業がなかったんですが,余り活躍はなかったんですけれども,公式訪問があれ7月入っての第2週ぐらいだったと思うんですが,そのためにそれまでに事業報告を作成することで,皆さん急いでつくっていただいたこと,これ印象に残っています。

司会(村上久夫)
 その前の年かと思うんですが,磯崎さんの年ももう新年度始まるとすぐできまして。

(岡内 浩)
 そうでしたかね。

司会(村上久夫)
 それがその伝統になって,石川さんがやるわ,あとこれから幹事やる人大変ですわ。

(岡内 浩)
 それと今いうように会長が1ヵ月半入院する,幹事がけがで・・・。

司会(村上久夫)
 申しわけありませんでした。現職で入院したのはクラブ始まって以来初めてです。

(岡内 浩)
 初めて,後にも先にも。それだけに皆さんに御迷惑をかけたと思いますが,あのときに各委員会の委員長さんが非常に熱心な委員長さんばっかりでございまして,炉辺会合の回数は恐らく各年度であの年が一番多かったんじゃないかと思います。
 それから,これは当時のことでないんですけれども,記念行事10年,15周年,20周年と記念行事いろいろやってきましたが,それはそれでそのときときに時宣を得たまことに結構な記念行事であったと思うんですが,何といいましても先ほどから話題になっておりますこの20周年の二科展,これは非常に成功したというのは,あの入場者の数が如実に物語っておると思うんですけど,8,067名,たまたまきのうですか山梨県の美術館が有名なルノアールでしたか,何億円する絵画を展示したために,入場者が倍にふえたというのが恐らく2,000,3,000名だったと思います。それから,見ても私達の20周年の二科展というのは非常に成功したんではないかと思いますし,何よりも一般の人にロータりーについての正しい認識が広くできたというのが,大変よかったと思います。今後もああいった一般の人に,本当にロータリーを理解してもらうような記念行事をすれば,ますますロータリーも発展するじゃないかと思うのです。

司会(村上久夫)
 恥じ多き年度は早々に通過して−と言っても岡内幹事の入院は東京の雪の道での骨折ですから不可抗力,それに引きかえ会長の入院はてめえの不養生からなのですから,全く申し訳ない,改めてこの席でお詫びして−さて,次は田中さんに。

(田中貞市)
 私が,今お話がありましたように幹事川西君と1年間をやらしていただきまして,この席で皆さんにおわびをしたいと思う点が前々から思っておったんですけれども,年次報告が大変遅れて,皆さん会員の方々におわびせにゃあいかんという気持ちがいっぱいであります。それが1点と,私が最近でも言っていますように,会員増強ということを盛んに主張されておるようですけれども,会員の増強というものはいろいろ増強についても問題もあるし,年度初め,あるいは最終に増員をすれば我々の年度が終わるんじゃないかというようなことも考えておったわけです。それと同時に,私出席について入会して18年になりますけれども,当初4代目の1972年,3年のときの幹事の高岸さんというなかなかやかましい人がおりまして,当時出席委員長をおおせつけられて,きょうの例会の出席はどうだったというようなことを毎週聞かれまして出席委員長として欠席の方には次の例会のひとつ前日までメーキャプをしていただきたいということを電話連絡を出席委員長としてした記憶が,いまだに残っております。これが出席というものについて出席委員長あるいは幹事というものが今後そういう点をお考えいただいて,出席率は確かに現在落ちていると思います。そういう点もひとつ今後の課題として出席委員長ももちろん責任はあるかと思うんで,幹事としてのあれも一応出席についてのお考えをとらしていただいた方が出席というものがあがってくるんじゃないかというような感じを持っております。それにつきまして,赤井先生が,私の前の会長をされて当クラブ51回例会だった,恐らく歴代の会長でホームクラブ100%出席される人は本当になかったかと思います。私もそれについて赤井先生が医者でありながら,ホームクラブの出席が100%ということをしたんだから,私もお礼にと思っておったんですけれども,私2回ほどメイキャップしましたが赤井先生は本当に病院の先生でありながら,これはもう51回100%ということは恐らく今後においてもあるかないかわかりませんけど,赤井先生は立派なクラブに対する貢献者であり私も今後見習うべきじゃないかというようなことを感じております。
 それともう一点,私のときは松野ガバナーでありまして,公式訪問に御婦人を例会の前に出席をいただきまして,ガバナーの考え方だったかと思いますが,公式訪問も本当に会長,幹事の懇談会におきましても友愛の中で川西君といろいろお話もしたんですけれども,ガバナーで婦人を公式訪問に出席さしたということも,初めてであったかと思いますが,ああいうガバナーも本当にガバナーとしていい悪いは別にしまして,私にとってはいいガバナーだったと,こういう感触もいまだに持っております。それと同時に,私も10年史はという表現で,書いた記憶をいまだに覚えておりますが,先ほども出ておりましたようにロータリアン西クラブ60数名の方々,本当に西クラブとして輪がつながってことしも手をつないでというようなことも,これもひとつ西クラブの誇りじゃないかというようなことを感じております。ぜひそういうことで,西クラブの若い方,あるいは知り合いの方々もそういう点を踏まえて,西クラブの和を尊重していったらますます西クラブが発展するんじゃないかというような考えを持っております。
 以上でございます。

司会(村上久夫)
 はい,ありがとうございました。
 さて次は,名会長,名幹事,谷本さんと石川さんに。

(谷本憲一)
 では,一言。
 1987年〜88年度の会長をやらせていただきました谷本でございます。只今までに各年度の会長の想い出話しがいろいろと報告されましたが私は少し内容を変えまして会長をやっていた年度の裏話し的なものを話してみたいと思います。この年度の幹事は石川さんにお願いしたわけですが,先づ年度に入る前に私の耳に入ったこんなことがございました。それは谷本の堅物と石川の堅物の二人がペアを組んでやられたら,ちょっとうるそうなるで,会員の皆がついて行くやろか,でした。私自身は皆さんが思っておられるような,そんな堅く融通のきかない男じゃないと思っているのですが皆さんにはそう見られているのであろうかと反省もした次第です。それであれば今期は炉辺会合を多くし一層会員間のコミュニケーション造りを第一にやってみようでした。先づ御互自由に気軽に話しあえる間柄になるよう努めてみようと思いました。
 だが連日連夜炉辺会合が続くときは正直きつかったですね。一年間体の方がもってくれるやろかと心配したこともありました。それというのも私持病の痛風もちでしょう。暴飲暴食が一番悪いですからね。しかし予防薬はいつもポケットに入れ持ち歩いておりましたが,だが気を張っていたこともあったのでしょうが,ついに年度内寝込むこともなく,病は気からと云う言葉もほんとうなんだな人間気を張っていれば病気などもどこかへにげて行くもんだなと思ったものです。だが午前さんで遅く帰った時などは玄関戸に本日は西クラブ会長さんは入室御遠慮下さいとワイフに張紙されたものでした。
 さて任期に入り8月に横山会員が亡くなられました。その時西ロータリークラブで弔辞を読んでもらいたいとの連路を受けまして,さてそれを書こうとしましたが先生の出身地,出身学校,又その后の職歴等前歴が全々わからず皆さんに聞きましてもこれも充分でなく,さりとて横山先生の御宅の方で聞くこともはばかられ,どうしたものかと思案の末,そうだクラブへの入会時の会報に自己紹介の記事があるはずと,それをさがし参考にしてやっと一晩かけて書き上げた苦労話もございました。今後クラブ入会時にはその年の会報に出来るだけくわしく書いておいてもらうべきだなと思ったものです。
 その他,横州家・岡田(定)家・玉津島家・徳田家と御不幸が続いた一年でもありました。
 だが御目出度も2件ございました。
 佐野会員の御嬢さん・大林会員の御子息さん共に立派な結婚式でございましてクラブ会長としてスピーチをさせて頂きましてほんとうに光栄なことであったと思っております。私にとりまして良き思出になりました。
 兎角一年間はアッという間に過ぎましたが私にとりましては良き一生での記念になる年となりました。ありがとうございました。

(富永重信)
 今だから話しますがね。先ほど谷本さんの奥さん云々の話がございましたね。実は,こういういきさつがあるんです。奥さんはね,私の生まれた里のお隣で成長されまして,私が子供のときに一緒に大きくなって,私の妹とは特に親しい間柄なんです。それで,彼が先はど話をしました,奥さんが云々の問題は私が火をつけたんです。奥さんは幼いときからよく知っています関係で,私に「うちの主人はこのごろ帰るのが非常に遅いんですが,ロータリーの会長になるとそんなに遅うなるんですか」という質問があったわけです。「いやいや,そんなにしょっちゅうしょっちゅうロータリー会議があるわけでもありませんし,遅うても10時には終わりますぜ」と,こういう話をしたわけです。「いや10時ならいいんだけれども午前さんになることがたびたびじゃ」と,いっておられました。それはぴちっと御主人のネクタイを締めつけないといけませんね。こういう話をいたしまして,いまのいきさつが起こったようなことでございます。私が悪いことをいったなと思いますが・・・。
 ですから,会長さんになりますと,谷本さんのようにサービスをしますと家庭騒動になりかねません。谷本さんの奥さんだからさっきの文句で終わったようですけれども,会長になっても奥さんに心配をかけないためには,遅うても午前さんにならないように帰った方がいいのではないでしょうか。

(久米房之助)
 今の午前さんの続きで,私も谷本前会長のおかげさまで堂々とやらせていただきます。どうもありがとうごぎいます。
 私が本年度の会長ですが,その前に副会長を2年やりましてね,従来は会長の前はエレクト,その前に副会長をするというふうなことで,副会長をやっておいて会長エレクトで一たんおりておいて,そして会長をやるというふうなことでは3年間連続のような格好になるということです。他のクラブと同じように副会長をすれば,もう翌年は会長だということに,直しましょうということで変更をまずやらせていただきました。ですから,副会長を言い出しっペの私がやらざるを得んようになったわけです。
 それが1つと,それから今までの20年間の一応ロータリークラブというものについての組織的な変更をやろうということで,一部縮小なり,一都また委員会を増設するというふうな,ひとつバランスよくやらなきゃいかんのじゃないかということ。見てみますと,会務奉仕は非常にロータリークラブはどのクラブも活発なんですね。社会奉仕も,大体そのクラブそのクラブでいろいろ活動をやっておるわけです。ところが,やっぱり職業奉仕,国際奉仕というのはずっとこう沈んだような格好になっていると。そこがちょっと片手落ちじゃないかというようなことで,職業奉仕をひとつ重点的に浮上させようじゃないかということと,それから国際奉仕につきましてもやはり米山が認識不足でなかろうかという点で米山財団委員会ということでひとつ増える格好で,そういうような組織的なものをなるべくバランスをとるようにもっていこうということでやらさせていただいたということでございます。
 それで,会員増強につきましても人間関係でひとつ会員増強を図っていこうという趣旨と,もう一つは職業分類そのものを何年間も同じものを置きっ放しだと,これは意味がない。本来ならその職業分類,この職業についてどなたか御存じはございませんかという問題を問いかけをしながら増強していくということだろうと思うんですけれども,結局はやっぱり人間関係で会員の御推薦をいただくということになります。それから,選考にしましても,推薦が出ん限りは仕事が全然ないわけですから,分類しても,最初に分類をつくれば,後ほとんど仕事はなし。極端に言えば会員が新しく入った方の職業分類がない場合には増設するという形でやっておるということで,これは一つにまとめてしまえということで選ばさせていただいたわけです。これがいいのか悪いのかは皆さん方の御意見をいただくとしまして,出席率が結局,先ほどの御指摘がありましたようにどうも低い,落ち込んでおります。やっぱり会員の増強自体がやはりそういうことになりやすいんじゃないかというふうにも思うんですけれども,やはりR情報が多少不足しておるんでなかろうかという点。これは入会のときのしっかりとした話し合いができておらんのじゃないかという点,非常に私も反省をいたしております。
 増強をやれば,今度はまた縮小,縮小というか,質と量の問題ですね。これは私はその時代に応じてやるべきであって,どちらが正しいということじゃないと思うんです。ですから,量と質ということをその時代に応じて考えていただいていけばいいんじゃなかろうかというようなことを考えております。
 それから,家族会におきましては,親睦の方は家族会が主体ということでございますけれども,一部グループで奥さんも家族ぐるみの夕食会をやっておられるということも聞いております。非常にいいことじゃないかなと感じておりますんで,こういう面もこれからのクラブのいわゆる親睦という面で,より多くそういうふうな形ができていくのもいいんじゃなかろうかと思います。
 同時に,親睦もやはり基本的なものは会うということですから,例会でも会うということと,やはり委員会のミーティングなんかの場合でもお宅に訪問するということは非常に奥様方のいわゆるロータリーに対する認識度が高まっていくんじゃないかという気もします。ですから,委員会をちょくちょくお宅でお茶菓子ででもやっていくということを再々やれば非常な親密度が高まっていくんじゃないかという気がいたします。
 それから,一番問題に感じておったのはSAA関係ですけれども,早退ですね。これはもう,私は会長就任と同時に,就任前だったてすか,来期会長・幹事会というんでやったときに一席ぶったわけですけど,えらい手をたたいてくれたもんの実際にはやはりなかなか難しい面もあるようでございますんで,この点が高松のロータリークラブの最もロータリアンとして恥ずべきことじゃないかと感じております。これは徐々にひとつ,もううちのクラブのメンバーから直していくというふうなね,かつて富永さんが主張されたような形からでも直していかなきゃいかんじゃないかなという気がいたしております。
 職業奉仕につきましては,いわゆる各会員の職業をいかに充実させるかということで,職業奉仕があるわけですから,それでその職業はその業界のリーダーとしてロータリアンになったということをもう一つ御認識いただきますと,ロータリーに入った意義が十分に御理解いただけるんじゃないかと思うんです。ですから,こういう職業奉仕というものについての考え方は職業にロータリーがどういうふうに生かせるか,生かすか生かさないかはそのロータリアンにあると思うんです。ですから,そういう意味合いでは,私の余談になりますけれども,ロータリーへ入る前に,実は青年会議所のチャーターメンバーとして入っておったことがあるんですよ。しばらくしまして,これが政治なり選挙に使われる−−それで一発で私は退会したという実は実績を持っておるんです。ところが,ロータリーはそういうことは一切ございません。本当に綱領を読み,または解説書を読みながら勉強していきますと,自分の会社で使える分が非常に多いということ。で,プラス面が多かったんじゃないか。それと,人間関係の面が非常に充実しておられるし,各業界の代表者が来られておるという,そういうお話が聞けるということで,幅広いものがそこにできてきた。自分の職業を自分だけしか,井の中のカワズのような形で,他の職業の有意義というものについても,意義ある職業というものについても認識が非常に低かったと思います。その点についても,非常にプラスになったなという気がいたしております。
 それから,社会奉仕につきましては,今回の二科展,いわゆる一般社会人へ向けてのロータリーの存在価値というものをいかに広報するかという面では,二科展は非常にプラスだったというふうに感じております。
 最後の国際奉仕でございますが,これは先ほど申しましたように米山財団に対する一つの認識を高めてもらおうと。またロータリー財団の方はもう御存じのことでございますし,結局その中で国際青少年と一般青少年と2つにこしらえたという点も組織上のふり分けをしまして,どれもがダブるということなくして,国際青少年は海外からの留学生に対する奉仕という面で担当していくわけです。一方,社会奉仕の中の青少年は地元関係でのいわゆる青少年活動という面で2つに分離したわけでございます。
 国際奉仕は,最近相当弔問外交で竹下首相さんが大分ばらまいておるようでございますけれども,そればっかりは私はしてほしくないと思いますんで,やはり日本を正しく理解してもらうという仕事もあれば,外国を正しく理解をしていくということも国際奉仕につながっていくという面で,これからの我々の高松西クラブが今後歩んでいくのにどういう姿でこの四大奉仕部門をどうやって持っていくかということがこれからの課題だろうと私は思いますので,一つだけ申し上げておきたいのは,前任者がこうだったから前任者の顔をつぶしちゃいかんと思って遠慮して,全部踏襲していくということは必要ないと思います。ですから,いいものは残し,改革をやってみたいなと思うものは思い切ってやってみて,悪ければまた直せばいい,こういうことでございますんで,余りにも前任者のお立場を考え過ぎて,何もやれないということがないようにしていただければ,新しい活動形態なり組織なり奉仕のあり方なりが変わった面でおもしろいユニークなものになっていくんじゃないかと思うわけでございます。
 えらい長時間になりましたけど・・・。

司会(村上久夫)
 20周年記念の会長,立派なお話をたくさん伺いまして・・・。
 これで,これから我が西クラブはこの平成の時代をどう羽ばたいていくか,皆さん方からの前向きの意見をいろいろとお聞かせいただきたいと思います。別枝さん,それから池上さん,構想がおありになると思います。

(別枝正己)
 私,次期会長を仰せつかって,じっとこう指で数えてみますと,もうあと4ヶ月というようなことで,心臓がどきどきしておるのが現状でございまして,幸いなことに当クラブの幹事さん,そして役員理事に推薦いたしました方々が非常に立派な方で,また各委員長さん,また委員の方も構成もしておるわけでございますけれども,先般黒田幹事さんの方からも,いつ発表するかというようなことを言われたんですが,この20周年のこういう会がちょっと落ち着いたら発表したらいいんじゃなかろうかというふうなことを考えております。そして,先ほど久米さんも言われておりましたんですが,組織についていろいろ今までのものと久米さんが会長になられて少し変わった時点がございまして,その点について少し研究して見ておったんですが,その最初のものはずっと会員増強と会員選考,それから職業分類というものを別個にやっておったんですけれども,今回先ほど言われましたように選出ということに改正されておりますが,実はこれは久米さんが会長になられたときに聞いたわけですけれど,「こういうことは久米さん,どこかあるんですか」というて開きますと,ロータリーの日記ですかね,それには載っておるということだったんで,私実はそれを買いまして,ことし買ったところがそういう選出ということで会員増強と会員選考を一緒にして選出でやってもよろしいということになっておるわけなんで,ずっと20年来そういうようなことで来ておったものが,それは変わってもいいんだというふうに書いておったわけなんです。そして理事会の席上,こういうことを私は実は悩んでおるんだと,どっちにしようかというようなことで,理事会にもかけたんですけど,それは会長なりの意見でやったらいいんだというようなことで,私実はもうお受けいただいたもんだから,どうするかということで一応今の久米さんのやっておるような形で今つくっておるわけなんです。それより前に,私のとこへ池上さんと副幹事の加藤さんに寄っていただいて,どうしようという話を早目にやったわけなんですけど,黒田さんはちょうど用事ができて来られなかって,池上さんと加藤さんと3人でざっくばらんにそのお話をしたわけなんです。やはり加藤さんは加藤さんなりの御意見,池上さんは池上さんの御意見があるというようなことで,結局池上さんは「簡単にしておいてくれよ」というようなことで,「もうごちゃごちゃするのは差し控えるぞ」と,そう言う。加藤さんは加藤さんで「簡単にしたのはいいけれども,委員長ばっかり実際は動いて,何もあてごうてないと実際は動いてくれん。やっぱり委員長をたくさんつくっておることによって,皆さんがよう動いてくれるんでないか」というような加藤さんの御意見でもあったし,それで私の方としましてはどちらにしても内容的には,結果的には同じもんですけれど,そういうのをつくるのがいいか,つくらないのがいいかというようなことで,一応つくって,新しい理事会を,先般ここで開催しまして,その時点で一応御発表になったんですけど,そのときも多少意見がございました。玉津島さんも玉津島さんなりに社会奉仕として一応考えてみようというようなことで,何をするかという,こういう構想でいいかということで一応は別れたわけなんです。別にどうこうするというわけではございませんが,新しく出たのは身障者を今度取り上げてみたらというようなことを,これは会の方から私の耳に入ったものだから,そういうことを取り上げるわけでございます。いずれにしましても,一応20周年という大きな節目が終わって,次の新しい年に向かっていくわけですけど,やはり私はロータリーを愛さなければならないというふうに感じておりますし,特に今年は新しい会員もたくさん入会されましたんで,やはり初心に返ってやっていきたいと考えておるわけでございます。よろしくお願いいたします。

司会(村上久夫)
 ありがとうございました。別枝さんの次の年度を受け持たれる池上さんも構想がおありになると思います。その次の世代はどうあるべきか,お聞かせください。

(池上 任)
 まだまだ先のことですので,それほど深くは考えてないんですけれども,一つ,二つ,感じたことを申し上げたいと思うんですが,ロータリーの基本的な線は,やはりクラブで奉仕をするんじゃなくて,個人で職業を通じて奉仕をするということが一つの原則ではないかというふうに考えているんです。考え方としては従来はやっぱりクラブでいろいろなことを,今回の20周年にしても20周年という一つの節目で,クラブの行事というものを随分やってきたと思います。これは,この前にもちょっと申し上げましたけれども,西クラブのチャーターメンバーから持ってきた非常に協調性と申しますか,あるいは親睦の実を上げてきた輪という問題ですが,すばらしい歴史が,私たち新しい老でもひしひしと感じるわけで,そういった中に一緒に入ってお互いにクラブの,あるいはまた自分らのためにやってきたわけですが,基本的な個人が自分の職業を通じて,そして社会に奉仕をするという基本線がどっちかと言うと,今まであんまりこう掘り起こされてないのか,あるいは発表の場がないのかというふうなことを考えるわけでございまして,それぞれの方はそれぞれの立場でクラブと別にロータリアンという意識を持って地域社会の中で奉仕を思い切っていろんな角度でやっておいでると思うんですが,そういったものを今後はいろんな形でどんどん出していただくというような西クラブになってくればすばらしいんじゃないか。輪が2つも3つも大きくなるんじゃないか。
 例えば,いろんな業界の中で業界の世話をしたり,あるいは極端な例を申し上げますと,自分の毎日生活しておる自治区内においてでも,いろいろ自治会の会長をしている方もいらっしゃるでしょうし,あるいは青少年の面倒を見ていらっしゃる方もおりますでしょうし,いろいろな撥会を通じてロータリアンー人一人が社会に貢献をしていく姿というものは,あんまり今までは発表の場がなかったような気がします。恐らく,皆さん方はそれぞれ御遠慮なさって発表もしないし,自分のことよりも人の美徳をたたえようというような非常に気持ちの上できれいな気持ちが,結局は自分のことをあんまり手柄話をしない。しかし,そういう中には一生懸命にやっていらっしゃる方はしっかりうちのクラブにあると思うんですが,今後はそういった個人個人の本当に社会に貢献をするいろんな形のことをどんどん掘り出して,そして奨励をしていこうと。お互いにまた横の線をつなぎながら奉仕の輪を広げていこうというふうに物事の基本線を考えた西ロータリークラブができれば,今の倍も3倍もの大きい広がりのある,いわゆる地域に密着したロータリーが,一応テリトリーは持っておるわけですので,クラブでやる奉仕と,それから個人個人でやっていく奉仕,そういったものを今後考えていきたいと,そんなふうに考えております。
 以上です。

司会(村上久夫)
 ありがとうございました。
 次の会長,その次の会長,それぞれに構想をお持ちで,聞いていると本当に心強い限りです。
 私は,ロータリークラブに入って本当によかったと思っています。特に,西クラブの会員であってよかったなと思っています。だから,ホームクラブの例会に出てくるのがとても楽しいんです。好きです。そういう西クラブの先ほども褒めていただいたユニークさ,個性,そんなものを今後どう伸ばしていくか,どう評価していくか。今日お招きしたのは11年目から現在までの会長,幹事と,それからチャーターメンバーの方々をお招きしたわけなんです。まず,チャーターの吉田さんやら逸見さんあたりからいろいろ御意見を伺って,それを我々がどうこれからつくり上げていくか,話していただきたいと思います。

(透見金蔵)
 池上さんが今おっしゃっていた大胆な非常に私の思っているんと合致するところです。ロータリークラブというのは,もう対社会性がなかったら,これはもうただの遊びの社交クラブだということでございます。対社会性がどんだけあるかということでクラブの存在価値があるんだと思います。それには,各個人個人が対社会にどんだけ貢献しているか。それから,クラブ自身がどんだけ対社会に貢献をするか。たまたま今回二科展をやって,これは対社会によかったというと同様に,クラブが今後,対社会性にどんだけ仕事をするか。各個人がどんだけ対社会にいいことをできる人間をクラブがつくれるかというところに問題があるんじゃないだろうかと思います。それがためには,やっぱり人材を入れる,人材を集めるということです。今度の二科会にしても,玉浮島君が非常に謙遜した発言をしておられたですけど,こういうような行事をするのは一番にやっぱりヒントを与えるアイデアマンがいる。これは長尾先生が今回やられましたけど,アイデアを出す。そのアイデアを・・・,私も最初二科を持ってくる,それは結構なことだけどそれはうまいぐあいにいくかなと思うんですが,それをどう実行に移すかということに立案し,計画し,それがうまくスムーズに行くように考えるという立案があります。それは玉津島君と長尾先生が担ってくれたという.そして,それが立案ができたら,この段階では二科会のこういう人を呼んで一杯飲ます。それから,山尾先生を呼んでこうする,そういうような立案をしてスムーズに乗せる。それができたら,またそれを実行に移す担い手をそれぞれ呼んで,池上君を利用したり,利用したりと言うと失礼だけれども,池上君にお願いしたり,稲井さんにお願いしたりする。これを実行する。こういうふうなのが,こううまく組み合って一つの事業ができる。だから,そういうようなアイデアを出す人,それを予算内でどうにか予算をオーバーせんようにするかというような人,それからそれを担うて実行する人,それぞれの人材をどうかき集めてくるか,将来どう集めてくるかというところにクラブの進展があるんじゃないかと思います。だから,人材を集めることは一番だろうと思います.
 それから,それをやっぱり教育することじゃないでしょうか。過去のチャーターメンバーがどうのこうのと言われますけれども,チャーターメンバーももうスタートのときからもうとことん教育されたように思っておりますんで,そういうとこの教育,その教育が実ったのがさっき言いました田中君のときに出席がぐんと上がったと。97%台になった。それ以来,ずうっと,一時一遍だけ11位に落ちたことがありますけど,それからずうっと10周年を過ぎるまで六,七年だったですか,毎年10位以内にとどまっておった。それは,徹底した教育がクラブ内に蔓延して,みんながその気になっておったと思いますんで,やっぱりそれをもう一遍取り戻したいというような感じがします。だから,ある程度教育,ちょっときついかもしれんけど,教育をしたい。それで,その教育に耐えられるような人間を入れたいというようなことを私は感じます.それで,やっぱり将来の運営は若い人がこれを担ってもらう以外にないと私は思いますんで,若い人にひとつよろしくお願いをして,もう過去の人間はどんどん下がっていきたいと,こういうように思います。
 それから,もう一つちょっと何するのは,過去よかったことをもう一遍思い出して,それをもう一遍いいことはもう一遍やりたい.今は出席率のことですけど,もう一つはRI財団の寄附ですが,スタート,我々もう国際奉仕は何もできんから,この際100ドル寄附からでも始めんかと言ってスタートしたと思いますが,それが一時はもうクラブの中の大半の人が100ドルをしてくれて,IGFでも西クラブのが問題になったということを覚えておりますけれども,その当時の100ドルは今から考えると300ドルも400ドルにも相当する感覚で,その当時は360円だったし,それ以上に初任給の給料が非常に安くて,私は四十六,七年のときに43ぐらいのときに,まだ自分の給料が15万円以下だったように思うんです。その当時の100ドルをみんなに出してもらったということを考えると,今は100ドルずつ,今でも100ドルずつお願いしよる,300ドルずつお願いしてもいいんじゃないかというような感じも一つはしておりますが,そういうふうなことを思います。
 いま一つ,うちのクラブでよそのクラブに引けをとっておることが一つあります。それは,いまだに海外との交換学生というんですか,よそから長期の受け入れを一遍もやったことがないということが一つあります.これは,私なんか英語がしゃべれて,家がちょっと近かったら何かしたいと思うんですけど,どなたかこれも若い人にお願いしたいと思いますが,そういうようなのが私の今ちょっと引っかかっているような感じです。  以上です。

司会(村上久夫)
 ありがとうございました。
 吉田さんからもひとつ御意見を伺いたいんですが。

(吉田繁秋)
 私,先ほど大林先生から執行先生,甲子園の人です,西宮のね,パストガバナーで年次大会に来られてのお話の時分に,私の方の例会が夜1回だけですけどやっておるということに関して,あの方は甲子園の西宮のロータリアンでパストガバナーをやられた方ですから,非常にやはりガバナーをやられる方は広範囲に物を考える立派な人だなと思ったのは,京阪神にはロータリーの増強ということになってきますと,やっぱり役所勤めや会社勤めやいろいろあって,昼例会を決めても出席ができないんだという人がたくさんある。そういうものを西宮市に限らず京阪神という中の阪神地区で考えて,夜の例会ばかりでロータリーをやっていくという会をつくりたいという考えを持っておるという話をされた方でございますが,ちょうど当日こっちにこられたときに私接待委員で,執行先生とゴルフも一緒にしました。非常にゴルフが達者な方でしたけれども,かつてこんなスコアが出たことがないということで,非常に喜ばれて帰りまして,帰った後,丁重なお手紙をいただきました。ちょうど私ちょっと会員名簿を見たくて大会や何かの整理をしようと思って,きょう午前中に時間があったもんですから,会員名簿を見ましたところ,現在退会者が出た後,10何名の者が会員名簿がまだできて補足されておらないようでしたけれども,その執行先生の手紙を会員名簿に挟んであったもんですから,ちょっと感じたことです。
 それから,二科展の歴史を見ますと,この間長尾先生が理事長を案内されて,途中でちょっと抜けられた後,だれもついてない時間がありましたので,後ろからついていったときに,新聞記者が来られました.理事長にいろいろなことを開かれておりましたが,過去の二科展で入場無料というのは今回が初めてだと,新聞記者に語っておりました。新聞記者も「そうですか」ということで,「それにはたくさん費用もかかるんですよ」ということを言われながら,この二科展の入場無料というのは初めてだったんだなということを感じまして,こういう面でこれから社会に何とか香川県の多少文化面でおくれた点について,ちょうど市の美術館もできたことであるし,いい機会だったんだなと思ってあのパンフレットをずっと見ますと,愛媛県で4回ほど,高知が2回だったか3回,徳島も2回されています。香川県は3回目だったように思いますが,これが香川県に定着して,今後数多くできるということになりましたら,非常にいい20周年の文化展をしてもらったということに意義があるなというような気持ちを深くいたしております。
 もう一つ,私の心境を御披露しますと,もう大分年もいって,体力的にもいろいろ限界があるということで,一時心細くなっておりましたときに,昨年8月だったと思いますが,凸版の直営で100%出資で凸版ムーアという会社に宮沢次郎という方がおられます。この方が非常に御苦労なさりまして,満州国の副参事におって,東大を出られておりましたけれども,この人は大陸へ進出をして,向こうで一生過ごすつもりだったというような方でしたんですけれども,その後こちらへ帰ってきまして,戦時中は総力戦研究所,香川県は1ヵ月でありますけれども,今の財務局の部長で1ヵ月で東京へ呼び戻され,それで東条内閣のころですが総力戦研究所の委員をしたりなんかして苦労した方が,「青春」という本を書かれました。その中の二,三編だけを抜きますと,「青春とは人生のある期間をいうのではなくて,心の様相をいうんだ」と,「人は信念とともに若く,疑惑とともに老いる。人は自信とともに若く,教育とともに老いる。希望がある限り若く,失望とともに老い朽ちる」というような文面を書かれておりまして,この青春の会の会員にならんかという薦めがございまして,この本を見て私も感動いたしておりましたし,これではいかん,わたしも体がちょっと衰えてきたという,2年ほど足を痛めまして,非常に消極的になっておったのをこれじゃいかんということで,この本を熟読といいますか,繰り返し読みまして,非常に何かまた希望が持てるような感じがいたしてきております。先般,この文面の1ページほどのものを印刷して,若い者に出したところが,もうわしも欲しい,わしも欲しいというようなことで,非常に若い人もこういうことを感じるのだなというような気持ちがいたしました。ロータリーは20年,非常に私たちは自分のやってきたことを棚に上げて,西ロータリークラブが非常に活発にロータリーの精神を十分に活用されておるということを常々思っておりますし,また西クラブには先ほど池上さんが言われたこと,あるいはまた会としてやっておられるような企画をすると,それぞれにひいでた方がいろいろ各部署で立派にやっておられるということにつきましては,本当に私はびっくりしていつも驚いておりまして,この西ロータリークラブはますますこれから発展していくんじゃないかというような気持ちでございます。
 ただ,ホームステイの問題については,私の身近な者でも二,三,1年間とか,あるいは1ヵ月とかいうようなんでアメリカへホームステイで行って帰りまして,いろいろな話を聞いて,先日も1年間ホームステイに行っておった隣の子供が,今度もうアメリカへ移住だというようなことで,女の子ですけども,非常にこのホームステイというものの意味が,これから若い者には非常に役立つものじゃなかろうかと。ロータリーが国際奉仕をやる限りは,そういう点については受け入れもすることを考えないかんというような気がしております。ただ,英語はしゃべれんのじゃない,聞いてもわからないというようなことで,私の隣に日米英語スクールでおった娘がおる当時は,英文の手紙が来ると,すぐ持っていったら丁寧に訳してくれて,丁寧過ぎるはど丁寧に訳してもらったりしよったんですが,その子が東京へ行ってしまったら,私の近所でも若い者でも英語がしゃべれるという者がほとんどおりませんので,ちょっと不便な点もあると,これからそういう点も心がけて,いつまで生きるかしらんが,皆さんのロータリーとともに行けるまで行かなきゃいかんというような覚悟をいたしております。
 以上でございます。

司会(村上久夫)
 ありがとうごぎいました。
 もう一方,原内さん,元老格でひとつ。

(原内 明)
 ざっくばらんに言わせてもらったら,ロータリーは出席に始まって出席に終わるんですよ。最近,出席率が非常に悪いんで,昔はずっと長いこと欠席者の名前を発表しておったんです。最近は,全然発表してないので,これは会長も本人に言いにくいだろうから,推薦者にこれをお願いして,ぜひ出席するように努めてもらわないかんと思うんですが。

(久米房之助)
 感じております。

(原内 明)
 それで,私が昔出席委員長をしておったころは,あんまり長う続いたら,もう会長に言うて,もうこれやめてもらわないかんというて,悪い人はのけていかないかんのじゃないかと思うんです。それで,できるだけ出席委員長は発表していったらいいんじゃないかと・・・,これどないに感じますか,村上さんは。

(村上久夫)
 久米会長はこの間,これから発表するようにと・・・。

(原内 明)
 言いよったのに,また言わんようになったから・・・。

(久米房之助)
 この間から始めたんだけれども,言わんときもあるから・・。

(原内 明)
 それで推薦者にお願いしてね,出席してもらうようにしたらいいと思う。
 それから,もう一つ感じておるのは,私たち経験してきたんですが,できるだけさっき別枝さんも言っておったように,たくさんの若い人に委員長になってもらう。委員長にならずに,幾ら毎週出席しておったんでは全然勉強も何もしないから,委員長になったら自然に勉強をせざるを得んようになってくるから,委員長にできるだけ早くなってもらって,勉強してもらったらいいんじゃないかと思うのと,それからもう一つ,さっき逸見さんもおっしゃっておったように,財団ですが,当初は36万円ですか,ドルが360円時代が非常に長かったんで,当時月給も安いし,非常にこたえとって,皆さん努力して出しておったんですが,最近半額以下になりまして,12,3万円出したら1,000ドルになるというふうになっておる。その当時,36万円時代に米山も10万円だった。それが現在,10万円の方が高うなってきて,それで米山の方が出しにくいんでないかと思うような時代が来ておるんで,12,3万円だったら,それくらいだったらある程度目をつぶってでも出せる範囲になってくるが,30万円というのはこれは半額ぐらいにならんのかいなと思ったりという感じを受けるように・・・。そういう感じだけの問題ですが,それぐらい財団の寄附金が安くなったということです。
 それからもう一つ,これはざっくばらんな話ですが,私は9代目の会長をしたわけであります。それまでの会長,いろんな会長がおられましたが,葬式に再々行きました.これ会長になったから早く死んでいくんでないかと思う感じがしたほど次々死んでいく。それで,藤原先生があれ2月ですか,4月ですか,トキワギ,百十四銀行の一番上の16階ですか,家族会をしよるときに,気分が悪いって帰られて,そのまま入院せられて,それであれはいつ亡くなったんで・・・,2月に入院したんです。それで,亡くなって,4月ごろじゃったと思うんですが,それで副会長がそのままずっといったんで,会長が長うなったんですが,谷本さんの話を聞いていると,会長職が非常に激務のような・・・。皆さん,それぞれ何のこともなく無事に1年を終わっていって,ついつい申し送っていっておるんですが,私の会長時代の当時は4クラブだったんですわ。4クラブの会長,幹事が末広会という名前をつけて,年に2回ずつ寄って懇親会を開いておるんです。あんまりろくな詰もしないんですが,酒を飲んで楽しむだけやっておりますんで,非常にこれも有意義でないかと思っています。私,会長時代は赤井先生に幹事をしていただいて,この人は非常にまじめで熱心にやってくれたんで,今も一緒に末広会でやっております。
 まあ,そんな・・・。

司会(村上久夫)
 徳田先生どうです。

(徳田恒光)
 いやいや,別にありません。ただ今回の20周年の式典のときに,ミスをしまして大分緊張したんですが,それでうちのクラブと物故者の黙悼ということを申し上げたわけですが,今原内さんが言われたように,こういらっしゃるので,この20周年の編集の機会に山下特別代表を初めとして,それから橘川元会長さん,それから林会長さん,そういうそうそうたる方の褒め言葉といいますか,たたえる言葉を1行でもひとつその記念誌に載せていただければ非常にいいんではないかという気がしている・・・。

司会(村上久夫)
 物故者の方ですか。

(徳田恒光)
 はい,物故着です。

司会(村上久夫)
 はい,それはちゃんとページがとってあります。東条さんにお願いしてあります。

(徳田恒光)
 ああそうでございますか。それなら結構なんですが,そのことがちょっと気になったので・・・

司会(村上久夫)
 申しおくれましたけれども,徳田先生のあの式典の司会は録音で聞きますと立派ですね。

(徳田恒光)
 いやいや,そんなこと・・・・。

司会(村上久夫)
 いや,本当,思いました。

(徳田恒光)
 失礼しました。
 それで,もう一つは私が幹事のときに,藤原高夫先生がポールハリスで皆さん方に御協力させていただいて,高知で。藤原先生の奥様にも御出席いただいて,写真も撮りまして,非常に喜ばれたということもありますので,物故者の御遺族にも今回のこの記念誌ができましたら,また御贈呈していただいて,そういう消息を,つながりをずっと末永くそういうことでしていただけたらありがたいと思います。蛇足ですが・・・。

司会(村上久夫)
 そこで,これからの時代を背負うお若い方々の発言をいただきたいと・・・。
 東条さんどうですか。東条さん,石川さん,川西さん,黒田さん。

(東條泰隆)
 先に言うて申しわけないんですが,私の場合は,ここへ入れていただきまして9年目でございます。9年でございますけども,まだ幹事の経験もありませんし,幹事の候補にも上ってない.感想とか,そういう語れる資格はないんです。それで,私の今やる仕事というのは,このまとめの20周年の座談会のまとめの方でございますので,そちらの方を精いっぱいやらせていただきますので,ひとつよろしく,ほかの方から聞いていただきます。

司会(村上久夫)
 東条さん,しかしあなたの時代に出した会報があれだけ萩原ガバナーから褒められたんですよ。それを誇りに思っておっていいんじゃないですか。

(東條泰隆)
 ありがとうございます。

司会(村上久夫)
 石川さん,どうです。

(石川洋介)
 いつも言われることですけれども,出席と会員増強ということがしきりに言われるんですけれども,この会員増強と出席というのは非常に密接な関係があろうかと思うんです。会員増強ということですけれども,クラブが社会的にいろいろ奉仕する団体であるということですけれども,そういったことで対外的にも,海外的にも,クラブの運営にしてもそうですけれども,そういった本当にそういう行為をするについてクラブが必要とするような方を積極的に増強していくという方向で進むのがいいんじゃないか。いたずらにRIの方からの指示によっていたずらに会員増強ということに走るということはどうかなと,こんな気がするんですけれども,会員があんまりふえますと,逆に今までの会員との接触というのもなくなるかもわかりませんし,新しい人に対するフォローも十分に行き届かない面もあるんではないか,そういったようなことで,出席も落ちていくんではないかという気がするんですね。だから,出席どうのこうのと言う前に,そういったようなことも考える必要があるし,また今現在の会員の方もそうですけれども,有能な新しい方はたくさんおいでるんですけれども,幹事1年間させていただいて,そういうようなことを強く感じたんですが,私自身がクラブに入りまして日も浅いし,また年も若いもんですから,非常にクラブの運営についてお願いするという会員が限られておりますし,そういった中でもお願いしていったわけですけれども,すべで快く引き受けてくださって,日ごろあんまり知っていただけてないように思われる会員さんたちがすばらしい協力をしていただいたというようなことを感じたわけです。そういったことを考えますと,いたずらに会員増強ということで走るんじゃなくて,今現在ここにおいでる会員はすばらしい人がいっぱいですから,そういったことをどんどんどんどんいろんなことをお願いをしていけばいいんじゃないかと。また,そうすることによって,その会員の出席率が悪いとするならば,また改まってくるんではないかというような気もするわけです。
 それで,会員の欠席者について,先ほどから言われております発表したらいいんじゃないかとか,そういうことで出席率が上がるんかもわかりませんけれども,そういう内面的な組織の運営を改めることによって自然と私は直ってくるんでないかと。欠席する方は,ある特定の方につきましてはたくさん継続して休まれる方もおいでるんですけれどもね,たまにやむを得ない事情で休む方もいらっしゃると思うんです。そういった方を例会場でいきなり発表するということは,私自身はどうかなと,こんな気がするんです。この前も例としてありましたが,ある方が何年も続けて出席しておる.たまたま1回だけ欠席したときに,いきなり発表したというようなことで,ちょっとショックだなというようなお詰もちょっと耳にしたこともございます。そういったことで,継続して休まれる方につきましては紹介者とか,そういった方を通じて改めていただく方向で指導すると。そして,それでない会員については,やはり裏でそういったことを改めてくれるような形での委員でやればいいんじゃないかと,そういうような気がするんです。僕もそういうような方向で行くべきじゃないかなという気がいたします。

司会(村上久夫)
 川西さん,何かありましたら・・・。

(川西秀明)
 ロータリークラブに入れさせていただきまして,ちょうど逸見会長と長尾幹事のときに入れさせてもらって,もう13年ほどたつわけですけれども,以来ずっとこのクラブでお世話になりまして,住谷さんは5年ほど前に来られて,それで初めて下から2番目の職責になったわけですけど,田中会長のもとで幹事をさせていただき,そのロータリーの奉仕の理念とか,そういうのはまだはっきり実感がわかなくて,ただロータリーの例会に出て,与えられた職務を果たしていくというのが精いっぱいであるという毎日でございます。
 先ほど,石川さんが言われた出席の話なんですけれども,最近私も新しい会員とある商工の副委員長と時々話をさせていただくんですけれども,その話を通じて我々のR情報の委員会の問題,それからそのロータリーの今のやっておる運営に対する内容も含めまして,余り皆さんがさほど今の現状では魅力を感じていないのが印象だったんです。だから,何か行事をするんですけれども,本当に自分がロータリークラブの一員として奉仕するんでなくて,クラブへ入って職務を与えられておるからやるんだと。だから,回りに言われん程度にやっておくんだという印象を強く受けておるわけなんです。そこで,一番大事なのはそういう人たち,また特に古い方は問題ないと思うんですけれども,いわば比較的新しい方とその中間の人々に対して,いわゆるロータリーの何らかの形の一種の動磯づけというのが今後必要だろうと思うんです。
 それから,先ほどからうちのクラブは非常に他のクラブに比べて,皆さん協調性があるとか,また非常に和のあるクラブとか,また個性の強いクラブというふうに言われておるんですけれども,これもはっきり言って,特に個性の面では僕は協力の面では当クラブの10%ほどの方々を指してそういう言い方をされておるのだと。本当のうちのクラブの今の和の問題とか,それから協調性とか,個性の問題とか,さほど他のクラブと比べても違う点ではないと思うんです。他のクラブにもやっぱりそういうものがある。ですから,もううちのクラブも20年,基本的な考え方からずっと釆て,ちょうど久米さんの時代に組織を抜本的に考えて,それで一種の問題提起がなされて,別枝さんの時代にそれをまた手を加えていただいて,それから池上さんの時代に大きなクラブの飛躍を今後していかないと,最近ロータリーとかライオンズとか,いろんなクラブもできてきて,一種のマンネリ化を含んでおるのが現状だと思うんで,やはり大きな脱皮,飛躍,改革というのが必要なんじゃないかというふうに思います。

司会(村上久夫)
 厳しい御意見をいただきました。
 次期幹事の黒田さん,ひとつお願いいたします。

(黒田昌男)
 思いがけず次の幹事をお引き受けすることになったんですけども,こうしてずっと本日出てこられておるメンバーを見ますと,私が一番新しいです。私より後から入ってこられた方は岡田社長だけなんです。それで,まだ私より古い方が東条,稲本さん二人ほどいらっしゃるのに,それを差しおいて幹事になるということは非常におこがましいことじゃないかと思っておるんですけれども。別枝会長から特別御依頼を受けまして,やむなくお引き受けしたわけなんですけれども・・・。
 ちょうど私自身,四国税理士会の役職を今いたしておりまして,しょっちゅう東京へは出張したりしとるんです。そんなんで,先ほど富永元会長がおっしゃったんですけども,当時の幹事をしておいでました次の別枝会長が非常によく協力せられたと言われとんですけども,私としてはどれだけできるかということについて大きな危惧の念を持っております.しかし,何とか1年のことでございますから,最大限の努力をして,少しでも職責を全うしたいと,そのように考えておる次第です。
 さっき,別枝次期会長もちょっと言われたんですけども,結局久米内閣と言いますか,新しいもの,全面的な組織が変更なさったんで,1年間その成果を見てきたわけなんですけれども,特に改編を要することもございませんし,余り朝令暮改になるのもどうかと思いまして,別枝会長と御相談しまして,もう1期はこれで行こうじゃないかということで,大網的には変えずに,ただ障害者対策とか,一部の変更だけを入れてそういうことでやっていこうと思います。余り,健康な方でもございませんし,どこまでできるかわかりませんけども,とにかく一生懸命やれたらと思っておりますので,よろしくお願いします。

司会(村上久夫)
 いろいろと本当にありがとうございました。
 どうやらすばらしい座談会記事になりそうです。
 私,いまだに非常に大きな衝撃を受けたのは,地区大会をやりましたときに2ヵ月足らずであの大会記録を出された。私は,あの編集のときに全然ノータッチだったんです。でき上がったのを手にしてびっくりしたわけです。よそのクラブはみんな1年かがりで,1年ぐらいたってからできる。うちのクラブは2ヵ月足らずで出した。しかも,あのスマートな白い表紙の本,すばらしいなと思いました。今度のもそんなすばらしいものにいたしたいと思っておりますが,記念式典,その他の行事が余りにも立派なことをおやりになったので,非常に私は今重荷,圧迫を感じております。
 それで,その本の表紙,その他を稲本さんにお願いいたしたいと思います。稲本さん,構想がおありになるんでしょ。ちょっと聞かしてください。

(稲本陽一)
 済みません。まだ,何んにも構想がないんですが。ただ長尾先生にお願いして・・・。

司会(村上久夫)
 ただ,大会記録の本の白い表紙というのはすばらしく印象に残っております。だから,稲本さんに何か新しい発想で,新しい装丁をやってもらいたいなという気があるわけでございます。
 長時間にわたりまして本当にいろいろとありがとうございました。予定の6時がもう間もなく迫ってまいります。
 最後の締めくくりとして,実行委員長の大林さまに最後の言葉を。

(大林 幸)
 皆さんどうも長時間御苦労さまでございました。
 数々のすばらしいいろんな話が出まして,すばらしい記念誌ができることを期待してやみません。
 最後にちょっと私,ことし初めて国際大会に,ソウルであるのに出席するつもりです。私たちの年次大会のときに,インさん,会長代理が国際ロータリークラブのソウル大会委員長ですか−−そういうことのようでございますので,久米会長,別枝次期会長らと御一緒に参加するつもりでおります。
 厳しい御意見もあったようでございますが,私たち日々に,西クラブが活性化すべくいろいろ,いろんな角度で検討していただいて,本当にお疲れでございました。御苦労さまでございました。

司会(村上久夫)
 ありがとうございました。

(拍手)

(長尾初次)
 ちょっと一言だけ。

司会(村上久夫)
 はい,どうぞ。

(長尾初次)
 私,ここで20年やっとるわけですが,その間にいろいろと感じておるんですが,大体こういうふうに私が古びてきますと,考え方がずるくなってくるわけです。この20年をひとつ記念しまして,皆さん方にお願いしたいのは,もうそろそろこういう古い,古手の連中はもう度外視してやってほしいということです。なぜかというと,もう古うなってくるとみんなあの手この手を知り過ぎちゃったわけです。「こういうことをやるんだと」,「そんならおい,あれとあれとあれとつついたらええぞ」と,こういうふうなことになってしまうのです。.これがそもそもロータリーを活性化さす大きな阻害になっていると思うんです。ですから,もうそういうつぼを心得てきた連中はそろそろのけてもらってやらないと,今後のあれはないと僕は思うんです。それを早く言いたかったんだけども,まあ20周年をやるからつぼをつついておかないかんからやりましたけれども,そういうこれからはつぼをつついて何とかできるような格好になるというのは,もうそろそろ除外しないと活性化できないと思います。その点をひとつ皆さん方にお願いしたいと思います。これは私個人の考えでございますので・・・.

(久米房之助)
 今の御意見で川西さん言われたユニークなクラブとかのお答えになることと思うんでございますので,その点ひとつ御理解のほどを。
 それから,石川さんが言われた,いわゆる欠席者の発表をするか否かは,その時代の会長方針で私は結構だと思います。ですから,これは欠席になっておるのに,実はメーキャップしておる,それが発表したことによって発見されたいうのが2件ございます。ですから,それと同時に,質の向上を図るためにも多少厳しいかもしれんが,発表するケース,それから発表しなくてもいい時代,それぞれの使い分けであっていいと思います。
 それから,ロータリアンはクラブに何をしてくれるのかではなくして,クラブに会員として,私は何をするのかということを基本的にお考えいただければクラブの活動なり,その他が非常に楽しくなっていくんではないかというふうに感じます。最後になりましたけれども,私は何をしてくれるんかじゃなくして,私は何をするのかということで,各委員会も委員長だけで踊らずに,委員会全部が参加していただくということがことしのアビ一会長の「あなたの活力を」ということだろうと思います。おこがましいことを申しましたけど,よろしく御理解いただきたいと思います。

司会(村上久夫)
 長時間ほんとに有難うございました。それじゃ,別室へどうぞ。